大阪地方裁判所 昭和48年(ワ)3426号 判決 1976年3月15日
主文
原告の請求は、いずれもこれを棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
(申立)
原告は、「被告に対し、原告が昭和四七年一二月一六日付出勤停止処分による制約を伴わない労働契約上の地位を有することを確認する。被告は、原告に対し金三四三、二一一円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日以降完済に至るまで年五分の割合による金員並びに昭和四七年一二月二八日以降本件判決確定に至るまで一日金一、〇〇〇円の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」旨の判決を求めた。
被告は、主文と同旨の判決を求めた。
(主張)
第一請求原因
一、原告は、昭和四〇年三月、被告会社に入社し、当初大阪製造所樹脂応用研究部に、続いて機構変更により中央研究所応用研究課に所属し、同四五年二月一〇日からは中央研究所技術課に所属し技術情報管理、研究管理の業務に従事していた。
原告は、被告会社従業員で組織する合化労連住友化学労働組合高槻支部所属の組合員で、昭和四一年八月より同四三年七月まで同支部青年婦人部応研事務職場協議員、同年八月より同四四年七月まで同青年婦人部幹事を各歴任した。
被告は、原告に対し昭和四七年一二月一六日付で同月一八日から二七日まで一〇日間の出勤停止の懲戒処分(以下本件懲戒処分ともいう)をなした。
二、(本件懲戒処分に至るまでの経過)
(一) 原告は、一労働者としてかねてより社会主義中国に深い関心を抱き、労働者階級による日中友好運動を進めることの重要性を自覚していたものであるが、昭和四七年三月実施の第三次関西労働者訪中学習参観団に参加したいと考え、同年二月上旬、所属の小松原技術課長(以下小松原課長という)に右旅行のための休暇の承認を申入れたが、同課長より最終的に「現在は休暇中の業務代行要員が不足するから延期してしてほしい。五月以降なら現在の人員不足の事情は解消できる予定である」旨を申渡され、今後の訪中についての承認を期待して見送つた。
同年六月頃、日中国交回復大阪府民会議主催、中日友好協会外二者の協力による第二次大阪労働者友好代表団派遣計画が具体化した。この計画は、右府民会議より加盟各団体に呼びかけて、大阪府下の総評各地区評議会ならびに各市民会議(準備会を含む)から各一名の派遣予定者を推薦し、「派遣の目的趣旨に賛同し、積極的に活動する大阪地方で生産労働に従事している健康な労働者二五名」をもつて団を編成し派遣するものであつて、総評大阪地評副議長中江平次郎を団長とし、府下各労働組合の日中友好を推進する熱意を有する組合役員、組合活動家により構成された。
原告は、前記の事情もあり、同年八月、日中国交回復茨木市民会議の推薦を受け、右代表団の一員となることが決定された。
(二) 右代表団による訪中が同年一〇月九日から同月三一日まで実施されることになつたので、原告は、訪中開始より三週間以上前である同年九月一五日、所属の安野技術課副課長(以下安野副課長という)に訪中旅行計画を提出し、旅行期間につき有給休暇と欠勤の取扱を承認するよう要請したが、同日夕刻小松原課長より再考を求められた。
その後、原告は、同月三〇日頃、旅行期間中の業務引継ぎの準備をし、一〇月二日頃、所属上長の指示により業務引継ぎを完了し、同月五日、改めて小松原課長に対し一〇月九日から同月二一日までの有給休暇届、同月二二日から同月三一日までの欠勤届を提出したが却下されたため、同月七日、再度小松原課長に旅行届とともに右同期間の有給休暇届、欠勤届を提出し、同課長は右届を受理した。
(三) 原告ら訪中団は、予定通り同年一〇月九日日本を出発し、中国各地で中国人民と交流して友情と理解を深め、とくに一〇月二三日には、藤山愛一郎、日中友好協会(正統)中央本部、日中文化交流協会、日本国際貿易促進協会の各代表者らと共に、中国要人が出席した中日友好協会主催国交回復祝賀レセプシヨンに招待されるなど、日中両国間の公式の重要行事にも参加し、重要な成果をおさめ、予定より少し遅れて一〇月三一日午後一一時羽田空港に帰着した。
(四) 原告は、帰着の翌一一月一日午前八時三〇分頃、電話で小松原課長に事情を述べて当日欠勤することを通知し、同日午後四時に所属職場に出頭して帰着の報告をした。しかるに、その後同月二九日まで原告に対する業務指示がなく、同月三〇日に至り従前の業務を変更し特許情報管理業務担当の指示がなされた。
この間、同年一一月二九日、被告は前記住友化学労働組合高槻支部に原告に対する懲戒委員会の開催を申し入れ、同年一二月一五日の同委員会の結論により本件懲戒処分を発令した。その理由は、原告の同年一〇月二二日から一一月一日までの欠勤が就業規則三二条四号の無届欠勤であり、同規則八八条二号の「正当な理由がなくて、無届欠勤したとき」との懲戒事由に該当するというものである。
三、(本件懲戒処分の無効事由)
(一) (本件懲戒規定の無効性)
(イ) 一般に、正当な理由に基づかない無届欠勤が企業における労働力配置計画に支障を与え、企業の労働力管理に一定の悪影響を及ぼすものとして、それが数日以上にわたるような場合に懲戒処分の対象とされている例は多く、このような意味で就業規則八八条二号の無届欠勤の意義を語義通りに解した場合には、右懲戒に関する規定に合理性が無いとはいえない。しかし、同規則三二条によれば、欠勤として取り扱う場合として、1病気欠勤、2看護欠勤の他に「3事故欠勤 やむを得ない事故によつて就業しないとき」と「4無届欠勤 無届または不都合な理由で就業しないとき」との定めがあり、通常の意味の無届欠勤とは別に、届出た欠勤でもその理由が「不都合な」場合には、懲戒の対象とされるべき無届欠勤となるというのである。同じく届出た欠勤であつても、「やむを得ない」事故による場合は事故欠勤として直接には懲戒の対象にならないが、「不都合な」理由による場合は無届欠勤と同様に取扱われて懲戒の対象とされる。そして、右の「やむを得ない」という場合と「不都合な」という場合の解釈基準は就業規則上示されていないのであるから、右のいずれの場合に当るかは、結局、使用者である被告の主観的価値判断によることになる。従業員としては、届出の有無という客観的な態様によることなく、使用者側である被告の主観的、専断的、自由裁量的な価値判断によつて、届出た欠勤であつても無届欠勤とされ、懲戒の制裁を加えられる危険を負担することとなる。
このようなことは労働契約における労使対等の原則に反する。労働契約関係の中でもとりわけ懲戒は、それが労働契約の必然的な内容をなすというより、労使の力関係の中で事実上使用者側からの強制力として通用し、この通用性に一般的法律効果が付与されているにすぎないのであるから、懲戒規定の法的有効性もしくは法的許容性は、労働契約上の当事者である労使間の地位の対等を極端に破るようなことがないような内在的制約を有しているというべきである。前記のように、欠勤事由の許容性を使用者の専断的判断に委ね、否定的に判断した場合は懲戒の対象として扱うというような規定は、その効力を否定されるべきである。
(ロ) 一般的な意味での無届欠勤に対して懲戒の制裁の加えられることにつき合理性が無いとはいえないこと前記のとおりであるが、欠勤に対する制裁は、原則として欠勤の態様に基づいてなされるべきである。欠勤が異常に頻繁であり、その理由も不明確であるなど、欠勤の態様そのものから勤務に対する無責任、不熱心が顕著にうかがえるような場合には、使用者に解雇権を発生させることがあり、解雇に至らない場合においても解雇に代えてある懲戒を加えうる場合もある。被告会社の就業規則をみても、「看護欠勤六〇日または事故欠勤が三〇日におよびその情状が認めがたい者」(五九条二号)や「労働能率が劣悪で作業の変更等の措置を講じても向上の見込みのない者」(同条三号)に対しては解雇しうるとされ、「出勤が常でなくまたは遅参、早退が多い等勤務に不熱心なとき」(八八条九号)は過怠金または出勤停止に処することができるとされているのであり、企業の生産秩序を維持してゆくための規則としては右の規定などの活用で足りるのであり、欠勤の理由を云々し、不都合理由による欠勤を無届欠勤として懲戒の対象とすべき根拠はない。
(ハ) 労働契約においては、明示されていると否とを問わず、常識的に合理的な事由による欠勤を使用者は拒否できない旨の合意が成立しているというべきである。このことは、逆に使用者側において景気変動に応じて生産調整を行うことにより出来高給、時間外勤務手当に多少の変動が生じたような場合に、労働者側から使用者の行う合理的な生産調整までもやめることを要求する権利がないのと同一である。使用者が労働者の欠勤を問題にしうるのは、欠勤が労働契約の内容から許容しうる範囲外のものであり、企業の生産秩序に否定的影響を与えることが明らかな場合であつて、使用者に労働者の欠勤一般に対する拒否権が付与されているものではない。使用者は、労働契約の本質上、理由ある欠勤についてはこれを受忍する、換言すればこれに対して秩序罰すなわち懲戒を加えないという労働契約上の拘束を受けているといわねばならない。
使用者が欠勤した労働者に対し賃金カツト、賞与金の一部カツト、皆勤手当の不支給など労働者の債務不履行に対する不利益を課すること以上に、企業秩序違反として懲戒を加えるためには、当該欠勤が無届であること、不合理に長期にわたること、不必要に頻繁であること、その事由が著しく恣意的であることのいずれかの要件を充足するものでなければならず、右要件に該当しない場合には懲戒を加えることは許されないというべきである。
(ニ) 前記の就業規則八八条二号の「正当な理由がなくて、無届欠勤したとき」との規定は、その文理からすれば通常的意味における無届欠勤のみを指すものと解さざるをえない。けだし、不都合な理由による欠勤は、正当な理由による欠勤でないことが明らかであるから、ことさらに「正当な理由がなくて」と限定を付する必要はない。いずれにせよ、右規定は、形式的に無届欠勤であつても、正当な理由によるものは懲戒の対象にしないとの趣旨がうかがえるのであり、前記欠勤に対する懲戒の各要件を承認し、これに該当する場合にのみ懲戒権の発動を肯定するものといわざるを得ない。そうでなく、本件懲戒処分の場合のごとく、被告会社において不都合と認める欠勤はすべて無届欠勤であり、懲戒事由を構成するというにおいては、これは明らかに労使対等に締結されるべき労働契約の範囲を逸脱し、労働者に不当な不利益を課するものであり、公序良俗に反する違法なもので無効というべきである。
(二) (本件懲戒処分の違法性)
前記の原告の欠勤は、就業規則三二条三号の事故欠勤として取扱われるべきであり、これを同条四号の無届欠勤に当るとした本件懲戒処分は違法無効である。
前記のとおり、原告の欠勤は、日中国交回復がまさに実現する段階で、全大阪の労働者を代表する選抜された訪中団の一員として訪中し、日中友好への貢献を図るという極めて正当な理由にもとづくやむをえない性格の欠勤であり、これを不都合な理由による欠勤とする被告の取扱いは正当性を欠くものである。
第一に、原告の訪中旅行の性格は単純に私的なものではなく、公的な性格の強いものである。すなわち、原告らの訪中代表団派遣計画は、日中国交回復が押し止めがたい時勢の流れとなつていたものの、まだ達成しえていない時期に立てられたものであるが、原告が被告に右代表団に参加のための旅行の承認を求めていた時期である昭和四七年九月二九日には、日中両国政府による共同声明が発表され、両国間のこれまでの不正常な状態に終止符をうち、外交関係が正式に樹立されるに至つた。したがつて原告らによる訪中は、国交回復直後の公的な親善使節としての性格をもつものであつたし、中国政府によつてもそのように待遇された。しかも、被告会社自身もかねてより中国との友好関係を推進することを標ぼうしていたのであり、たとえ原告の訪中団参加が被告会社と無関係に決定されたにせよ、少くも中国との友好と協力関係を結ぶことを企業として強く望む立場にあるというのであれば、これに対して消極的な形にせよ可能なかぎりの理解を示すべきは当然である。
第二に、原告の訪中団参加は、社会生活上極めて意義の高い行事への参加を意味し、その参加の自由は充分に保障されるべきであつた。原告の訪中団参加は日中国交回復茨木市民会議の推薦で決定されたものであり、しかも団員は全大阪から二五名という少数であり、極めて重要な使命を有するものであるから、かような重要な行事への参加のための欠勤は、企業側において特別の理由のないかぎり受忍を要求される性質のものである。
第三に、原告は、本件訪中旅行に先立ち三週間以上も前から右旅行とこれによる八日間の欠勤について承認手続を申し入れていたのであり、決して手続を無視もしくは軽視して一方的に事を運んだのではない。またその間には事務の引継ぎもおえ、被告会社において原告不在の間における対策を準備できる余裕を与えたうえで旅行に参加しているのである。
第四に、被告会社において本来の無届欠勤ではなく、不都合な理由による無届欠勤であるとして、就業規則八八条二号を適用して懲戒に処した例は本件を除いては皆無であり、本件懲戒処分は極めて異例の措置であり、このような異例な懲戒処分を原告に対して加えるべき合理的根拠は全く存在しない。
以上の理由からして、原告のなした欠勤については、当然に就業規則三二条三号の事故欠勤として取扱うべきであり、これを懲戒処分に付するが如きことは許されないところである。
四、本件懲戒処分により、原告は後記のように賃金の支払を受けなかつたのみでなく、昇任(就業規則四九条)、昇給(労働協約一二七条)、賞与(同一二九条)、退職手当(同一三一条)において不利益に取扱われることになり、懲戒処分における処分加重事由(就業規則八九条九号)として取扱われる不利益があるから、本件懲戒処分による制約を伴わない労働契約上の地位を有することの確認を求める。
五、(金員支払請求)
(一) 本件懲戒処分にともない、原告は左記賃金等の支払いを受けられず、同額の損害を受けた。
(イ) 欠勤期間(昭和四七年一〇月二三日から同年一一月一日まで)中の賃金減額分六、〇八九円。
被告は右期間中の賃金を無届欠勤であるとの理由で基準内賃金日額一〇〇パーセント控除したが、事故欠勤であるとすれば七五パーセントの控除であるから、その差額六、〇八九円が支給されるべきである。
(ロ) 出勤停止期間(同年一二月一八日から二七日まで)の賃金減額分二四、三五七円。
右期間中の基準内賃金日額一〇〇パーセント二四、三五七円の賃金の支払を受けなかつた。
(ハ) 期末賞与金の減額分九、四〇〇円
昭和四八年上期賞与につき本件懲戒処分を理由に基準額(一五六、六六〇円)に対し一〇日間一日当り〇・六パーセント減額された。
(ニ) 無届欠勤を理由とする期末賞与金の減額分三、三六五円。無届欠勤を理由に査定を行い、四七年下期賞与金中から一、八九〇円、四八年上期賞与金中から一、四七五円が各減額された。
(二) 本件懲戒処分が違法不当なものであること前記のとおりであり、原告は、これにより多大の精神的苦痛を蒙つたのみならず、その後原告の再々の要求にかかわらず、被告は右処分を撤回せず、原告の右精神的苦痛は続き、これは本件裁判が確定し原告の名誉が回復されるまで継続する性質のものである。よつてこれに対する慰藉料としては、出勤停止期間中は一日三〇、〇〇〇円の割合(計三〇〇、〇〇〇円)、右期間経過後の昭和四七年一二月二八日以降は一日一、〇〇〇円の割合が相当である。
(三) よつて、原告は、前記(一)の金員と(二)の慰藉料中三〇〇、〇〇〇円との合計三四三、二一一円とこれに対する本件訴状送達の日の翌日以降完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金と、昭和四七年一二月二八日以降本件裁判確定に至るまで一日一、〇〇〇円の割合による金員の支払いを求める。
第二被告の答弁及び主張
一 請求原因一項の事実は、原告の労働組合役員歴の点は知らないが、その余の事実は認める。
同二項(一)の事実は、昭和四七年二月頃、原告から小松原課長に旅行のための休暇承認の申入れがあり、これに対し同課長が原告にその主張のような内容の話をしたこと、中国訪問を目的とする第二次大阪労働者友好代表団(団長中江平次郎)が二五名で編成され、原告もその一員として訪中旅行をしたことは認めるも、その余の事実は知らない。
同二項(二)の事実は、昭和四七年九月一五日、原告から安野副課長に旅行届が提出され、これにつき同日夕刻小松原課長が再考を求めたこと、同年一〇月七日、原告から小松原課長にその主張の各届が提出されたことは認めるが、その余の事実は争う。この間の経緯は後記のとおりである。
同二項(三)の事実は、原告がその主張日時に羽田に帰着したことは認めるも、その余は知らない。
同二項(四)の事実は認める。
同三項、四項の主張は、被告会社の就業規則に原告主張の文言の各規定のあることは争わないが、その余の主張は総て争う。
同五項のうち(一)の(イ)ないし(ハ)の各減額の点は認めるが、(ニ)の各減額は否認する。同項(二)及び(三)は争う。
二 (本件懲戒処分に至るまでの経過)
(一) 昭和四七年九月一五日、原告から二二日間の中国旅行届が提出されたが、原告の有給休暇の残余日数は一二日にすぎず(その後一〇月六日に一日有給休暇をとつた)、休日を含めてもとうてい全日程をまかなうに足りないので、小松原課長は旅行届を返して原告に再考を求めた。
同月一八日、小松原課長は原告に対し欠勤を前提とした旅行は認められない旨述べ、原告が旅行を思い止まるよう説得したが、この際原告も旅行は個人的な問題であること、勤務面からして今回の旅行については計画性が無かつたことを認めていた。この話合いの結果、小松原課長は欠勤してまで旅行しなければならない特段の事情はないと判断し、重ねて原告にこのような欠勤は認められない旨申し渡した。同月二〇日頃にも安野副課長が原告に対し旅行を止めるよう説得したが、同月二五日頃、原告から訪中の意思の表明がなされた。
右のような事態から、原告が欠勤するという事態に備え、小松原課長は、原告に翻意を促す一方、原告の不在による業務の停廃に対するできるだけの対応策を講ずることを安野副課長に命じ、同副課長は、一〇月二日、原告に現在担当している業務の進行状況および今後のスケジユールをとりまとめるよう指示した。その後、同副課長は、原告に対して欠勤した場合には業務に支障をきたすことを説明するとともに、欠勤を強行したときには会社からの処分があるであろうと言つたのに対し、原告は覚悟のうえである旨答えた。
一〇月七日に至り、請求原因二項記載のとおり、原告から旅行届と一〇月九日から同月二一日までの有給休暇届、同月二二日から同月三一日までの欠勤届が小松原課長に提出されたが、同課長は原告に対し認め難い旨申し渡した。
しかしながら、原告は結局一〇月九日から一一月一日まで就業しなかつたため、この間の勤務の取扱いについて被告は原告に付与されている有給休暇の残余日数分の一〇月九日から同月二一日までは有給休暇として、同月二二日は休日、同月二三日から一一月一日までの一〇日間は、就業規則三二条四号にいう「不都合な理由で就業しないとき」に該当するものとして、無届欠勤として処理し、同規則八八条二号の「正当な理由がなくて無届欠勤したとき」は過怠金または出勤停止の懲戒に処するとの規定に基き、請求原因二項(四)後段記載の手続を経て原告を本件懲戒処分に処したものである。
三 (原告の欠勤によつて被告会社がうけた業務上の支障について)
前述したとおり原告が上司の再三にわたる説得にもかかわらず欠勤を強行するという不測の事態に備えて、被告は原告に対して担当業務の進行状況ならびに今後のスケジユールのとりまとめを命じた上で、原告の不在の間はやむを得ず、他の従業員に当該業務を分割して分担させ、原告の不在による業務上の支障を最小限にくいとめるべく努力したのである。しかしながら、原告の本件欠勤によつて被告会社がこうむつた業務上の支障は次に述べるごとく多大なものがあつた。
(一) まず樹脂版印刷システムの開発業務についてであるが、実施担当課は中央研究所ポリプロピレン課であり、原告は技術課においてその窓口担当であつた。そして、ポリプロピレン課より応援要請があれば原告が応援業務を担当することになつていた。九月初旬、対抗技術が判明し、この研究開発を一層推進せしめる必要が生じた。こういう事情の中で原告不在の間にポリプロピレン課から一〇月二二日以降応援を求められたが、勿論応ずることができず、同課はやむを得ず、本業務に関係のない技術者を充てざるを得なくなり、従つて、その技術者の担当していた耐衝撃改良研究は中断せざるを得なくなり、これに関係する被告会社大江製造所研究部の研究にも支障を生ずることとなつたのである。
(二) つぎに農業用資材の検討に関する業務であるが、これは被告会社として大きく力を入れており、できるだけ早く成果の見通しを得たい研究テーマである。そこでその中の一テーマについて愛媛大学津野教授に共同研究を依頼してきたが、原告は本件に関する窓口担当であつた。ところが、原告の業務処理の手違いから、研究の対象物たる樹脂性栽培床の試作品が予定どおり同教授の手許に届かないという事態が一〇月一九日頃判明し、急拠、試作品を製作し、一〇月二三日頃送つたところ、不良品のため同教授からクレームを受け、あわせてこの研究に対する被告会社の姿勢に疑問を課せられるという事態があり、被告会社の信用は大きく失墜した。そしてさらに試作品を製作しなければならなくなつたのである。
本件も原告が業務に従事しておれば、当然試作品に対して確実なチエツクを行ない、不良品を相手方に送付するといつたミスは十分避け得たはずであり、二度にわたる試作品の製作といつた損害は発生しなかつたと考えられる。
さらに共同研究は相互の信頼関係の上に立つものであり、この点一度失墜した信用を取り戻すのは多大の努力を要するのみならず、研究機関における被告会社の信用に関わる問題といわねばならない。
(三) その他、種々小規模のトラブルが原告の不在により生じたのである。
(四) 右のごとき原告の不在による業務上の支障については、それがすべて有給休暇によるものであれば、会社はそれを受忍せざるをえないが、一〇日の無届欠勤を含んでおり、それによる業務上の支障を被告会社が受忍すべきいわれはない。
四 (就業規則の解釈適用について)
(一) 被告会社の場合、従業員が労働義務を免除されることが定型的に相当であるような事由は、就業規則三一条に「休暇」として一四種類にわたつて規定している。なお、この休暇の他に有給休暇もあり、原告の場合は、法定日教を上廻る年間二〇日の有給休暇が与えられている。右の休暇に該当しない事由によつて従業員が就業しない場合を「欠勤」として取扱うこととし、同規則三二条には、請求原因三項(一)(イ)に記載のとおりの規定がある。右規定にいう事故欠勤とは届出があり、かつやむを得ない事故によつて就業しない場合であり、無届欠勤とは届出なくして欠勤した場合はもちろん、届出のあつた場合といえども被告が不都合な理由によるものと認定した場合を指す。
右の「不都合な理由」の「不都合」の意味であるが、それは法とか倫理とかいつた社会的規範に照して判断されるわけではない。「不都合な理由」とは「やむを得ない事故」と対置される観念である。すなわち従業員が労働契約に基づいて負つている労働義務に照して、社会通念上、労働義務を放擲してもやむを得ないと認められるべき理由がある場合が「やむを得ない事故」として事故欠勤となり、労働義務を放擲することがやむを得ないと認められない場合が「不都合な理由」として無届欠勤となるのである。
(二) 原告はこの「やむを得ない事故」「不都合な理由」はいずれも企業側からみての主観的価値判断によるものであり、使用者の専権的判断によつて否定的価値判断を下されたものは無届欠勤として扱われ、懲戒の対象となるのであつて、こうした規定は労使間の地位の対等を極端に破るので無効であるとの趣旨を主張している。
しかしながら、被告が当該欠勤が事故欠勤であるか無届欠勤であるかを判断するにあたつては、従業員が労働契約に基づいて負つている労働義務に照して、その事由がやむを得ないと認められるものであるか否かを社会通念に従つて判断しているのであり、決して被告の主観的価値判断によつているものではない。
しかのみならず、右規則三二条の規定は労働協約八三条の規定と同内容であり、就業規則の解釈適用問題はすなわち労働協約の解釈適用の問題である。そして、労働協約は労使が対等の立場で協議決定したものであるから、その解釈適用について被告がその主観的判断で一方的に行うというようなことは不可能であり、労働協約にはその解釈適用に関して疑義が生じた場合の諸制度についても規定されている。労働協約の解釈適用について労使の意見が一致した場合には、それが強行法規なり公序良俗に反しない限り最大限尊重されるべきことは言うまでもなく、本件原告の欠勤に関する取扱いについては、前記のようにあらかじめ労働協約による懲戒委員会を開いて労働組合の意見を徴しているのであり、本件に対する就業規則(労働協約)の解釈適用に関しては、労働組合も被告と全く同意見であつた。
(三) 右の観点から、原告の本件欠勤をみた場合、これをもつて「やむを得ない事故」とみなすことはできない。
すなわち、通常の社会通念から言つても、娯楽や見聞を広めるための旅行は有給休暇を利用して行なわれるべきが当然である。しかるに原告は、年間二〇日の有給休暇を付与されていたにも拘らずそれは別のことに行使しておいて、更に労働義務を放擲してこのような私用旅行を行なつたのであり、これは、「やむを得ない事故」による欠勤といえないのは当然である。
(1) この点に関して原告は本件欠勤は日中友好への貢献を図るという極めて正当な理由に基づくやむを得ない欠勤であり、事故欠勤として取扱われるべきものであると主張し、その根拠として第一に本件訪中は国交回復直後の公的な親善使節としての性格をもつものであること等を挙げている。
原告が如何なる意味で「公的」という言葉を用いているのかは不明であるが、通常公的といえば国なり地方公共団体なりが行なうものを指すと考えられる。そしてそのような場合には事前に何らかの然るべき手続きが行なわれるはずであるが、本件に関してはそうしたものは何らなかつた。従つて本件訪中を以て公的な性格を有するものとみなすことはできない。また原告の参加したのは大阪総評副議長を団長とする労組活動家の訪中団であるとのことであるが、会社は本件訪中について原告所属の労働組合から何らの協力要請を受けた事実もない。それどころか本件懲戒処分の決定に当つて右労働組合に問合せたところ「原告の参加について原告本人からも大阪総評からも何らの事前連絡も受けていない」とのことであつた。従つて原告の本件訪中は労働組合の活動の一環として行なわれたものでないことも明白である。以上のごとく原告の本件訪中は何ら公的なものではなく、また組合活動の一環として行なわれたものでもないのであるから、正に通常の私用旅行であるといわねばならない。
(2) 被告は本件訪中がたとえ私用旅行であつてもそれが有給休暇を利用して行なわれるものであれば当然何ら問題にすることはない。しかしながら有給休暇の範囲を超えて労働義務を放擲して私用旅行に出かけるという事態を以て「やむを得ない事故」によるものとみなすことができない。
この点はたとえ旅行先が中国であれ、アメリカであれ、ヨーロツパであれ何ら変るところはない。被告会社は日中友好を心から念願している。しかしながらそれと従業員個々の考え方は全く別問題であり、被告会社としては日中友好に反対する従業員に対してその考えを改めるよう強制したりすることがないのと同様に、賛成する従業員に対して特別の取扱いをするということも当然あり得ない。
仮に旅行先が中国であるが故にそのための欠勤を「やむを得ない事故」とし、他の国であれば「不都合な理由」によるものとして取扱うとすれば、それこそ恣意的であるといわねばならない。原告は本件欠勤が事故欠勤であるとの主張の根拠の二点目として、訪中団参加は社会生活上極めて意義の高い行事への参加であつたとの趣旨を主張しているが、これは正に旅行先が中国であるから特別に取扱うべきであるというに等しいのであり、被告としては到底容認し得ないところである。
(3) さらに原告は本件欠勤が事故欠勤であるとの主張の根拠として三週間以上前から申し入れていること、事務の引つぎも終えていることを主張している。しかしながら単に届出を行ないさえすれば事故欠勤となるものではないことは既に述べたとおりである。特に被告会社はその間再三にわたつて原告に翻意を説得してきたのであるから、それを以て本件欠勤を正当化する根拠とはなし得ないのは当然である。また原告が引つぎを終えたと主張しているのは事実に反することも既に述べたとおりである。
(4) なお原告は被告会社において従来不都合な理由による無届欠勤であるとの理由で就業規則八八条二号が適用された例はなく、こうした異例の措置を原告に加えるに足る合理的な根拠は全く存在しないと主張するが、本件原告のように、被告会社の再三の事前の説得を無視して欠勤を強行するといつたような事態はかつて無かつたことであり、このような点から不都合な理由による欠勤として無届欠勤とされ、懲戒処分の対象とされた事例が存しないに過ぎない。
五 (本件懲戒処分の必要性)
(一) 就業規則第八八条第二号は「正当な理由がなくて無届欠勤したとき」には過怠金または出勤停止に処する旨を規定している。すなわちこの規定の趣旨は諸休暇、病気欠勤、看護欠勤またはやむを得ない事故のいずれでもない場合に、従業員が随意に労働義務を放擲してもそれを放置しておくとするならば企業として職場秩序を維持し、労働力を確保し、組織的に労働効率を発揮せしめることが不可能となるため、かかる従業員の恣意による労働義務の放擲に対しては秩序罰を以て臨むこととし、以てこうした事態の発生を防止せんとするものである。
この点に関して原告は欠勤に対して懲戒を加えうるのは原則として欠勤の態様を根拠とするものに限られるとし、その具体的要件を挙示して主張するが、この主張の当否は別にして、仮に原告の主張する如き立場に立つとしても本件のごとく労働義務を放擲して個人的な旅行に出かけるといつた行為は、その事由において著しく恣意的であると解さざるを得ず、原告の本件欠勤が懲戒処分の対象となるのは当然のことといわなければならない。
(二) このように原告の本件欠勤は、それ自体就業規則八八条二号に該当し、懲戒処分の対象となることは明白であるが、加うるに原告は所属上司の就業規則に則つた正当な判断に基づく再三の説得、業務命令にも拘らず、これをあえて拒否して欠勤を強行し、業務遂行に多大の支障をもたらしたのである。従つて被告会社においてこれを黙過するならば今後の職場秩序の維持、労働力の確保、組織的な労働効率の発揮は全く不可能となることは明らかである。すなわち被告は原告の本件欠勤に対して事前に再三翻意を促したにも拘らず、原告があえてこれを無視して欠勤を強行したため、やむを得ざる措置として本件出勤停止処分に踏み切つたのであり、これは被告会社において職場秩序を維持していくうえで必要最少限の措置であつたといわなければならない。
(三) さらに原告は本件欠勤の前年である昭和四六年六月、私用で七日の欠勤をし、それに対して処分を受けている。処分の程度は初めてのことでもあり情状を酌量し、本人の反省を期待して副所長訓戒にとどめたのであるが、その際原告は「不始末を深く反省し、今後は社員就業規則を遵守する」ことを被告会社に誓約しているのである。しかるに原告は前年に引続き再度私用のための欠勤をし、規律遵守の誓約を裏切つたのであり、こうした点を勘案すれば情状においても極めて悪質であると判断せざるを得なかつたのである。
第三証拠関係<省略>
理由
一 原告は、昭和四〇年三月、被告会社に入社し、被告会社中央研究所応用研究課所属を経て、同四五年二月一〇日から同研究所技術課に所属し技術情報管理、研究管理の業務に従事し、被告会社従業員で組織する合化労連住友化学労働組合高槻支部所属の組合員である。
昭和四七年二月上旬、原告は、当時計画されていた第三次関西労働者訪中学習参観団に参加して中国へ旅行したい旨を所属上司の小松原課長に申出たが、業務上の都合によつて承認を得られなかつた。その後、日中国交回復大阪府民会議主催、中日友好協会外二者の協力による第二次大阪労働者友好代表団による中国訪問が計画され、原告も右代表団員二五名の一人に選ばれた。そこで、原告は、同年九月一五日、所属上司の安野副課長に右訪中旅行計画を提出し、旅行につき承認を求めたが、同日夕刻には小松原課長から再考するように求められた。
同年一〇月七日、原告は、小松原課長に訪中旅行届と、右旅行期間中の同月九日から二一日までの有給休暇届、同月二二日から三一日までの欠勤届を提出し、同月九日に日本を出発して中国に旅行し、同月三一日に帰国し、翌一一月一日午後四時頃所属の職場に出頭して帰着の報告をした。
被告は、原告の右欠勤に関して前記労働組合に懲戒委員会の開催を申入れ、同年一二月一五日の同委員会の結論に基づき、原告の右旅行期間中の同年一〇月二二日から一一月一日までの欠勤が就業規則三二条四号の無届欠勤であり、同規則八八条二号の「正当な理由がなくて、無届欠勤したとき」との懲戒事由に該当するとの理由で、原告に対し同年一二月一六日付で同月一八日から二七日まで一〇日間の出勤停止の懲戒処分を発令した。
以上の事実は当事者間に争いない。
二 被告会社就業規則三二条に欠勤として取扱う場合として、病気欠勤、看護欠勤、事故欠勤、無届欠勤があり、事故欠勤とは「やむを得ない事故によつて就業しないとき」、無届欠勤とは「無届または不都合な理由で就業しないとき」と定められており、同規則八八条二号に「正当な理由がなくて、無届欠勤したとき」は懲戒として過怠金または出勤停止に処する旨定められていることは、当事者間に争いない。
原告は、「不都合な理由」による欠勤を、届出の有無にかかわらず無届欠勤とし、懲戒事由とするということは、「不都合な理由」に依るものか否かの判定を使用者の一方的、主観的判断に委ねるものであり、労使対等の原則に反し違法無効であると主張する。
ところで、従業員の欠勤が使用者側における労働力配置計画に支障を与え、その労働力管理、生産秩序ないし企業内秩序の維持に悪影響を及ぼすものであり、ことに事前の届出なくして欠勤する場合に甚しいといえるけれども、欠勤が正当な理由に基づく場合とかやむを得ない事情による場合においては、使用者側においてもこれをある程度は受忍せざるをえない。しかしながら、従業員の恣意的な欠勤についてまでも、使用者側に受忍すべきであるということはできず、使用者としては、単にその不就労による賃金カツトの他に、合理的な範囲内でこれを防止すべき措置を採ることは許されると解する。このことは、勤務に不熱心な者に対して制裁を加え、その反省を求め、場合によつては解雇等によつて企業外に排除することの許されるのと同様である。本件においても、就業規則八八条九号に「出勤が常でなくまたは遅参、早退が多い等勤務に不熱心なとき」は過怠金または出勤停止に処する旨定められていることは、当事者間に争ないところであり、原告の見解によつても、右のような場合における懲戒、あるいは欠勤が著しく恣意的な場合において使用者が制裁を課すことをも否定するものでないことは、原告の主張からもうかがえるところである。
右のような点からして、就業規則三二条四号で「不都合な理由」による欠勤を、同条三号の「やむをえない事故」による欠勤と区別して、無届欠勤と同様に取扱う旨定め、同規則八八条二号でこれに対し懲戒に処する旨定めているこの規定そのものは、必ずしも不合理なものとはいえない。もつとも、就業規則(成立に争いない乙第一号証の三)には、右の「不都合な理由」あるいは「やむを得ない」との文言の明確な定義づけはなく、右文言が抽象的であることから、具体的にこれを適用する場合において、判定者の主観的判断の入る余地が無いとはいえないことは原告が指摘するとおりであるけれども、この点は、右規定の適用において問題とされるべきであり、そのような点があるからといつて、右規定そのものが原告主張のように無効と解すべきであるというのは相当でない。
三 証人小松原寛之、同橋本良嗣の各証言、原告本人尋問の結果の一部とによると、前記昭和四七年九月一五日に原告が旅行届を提出し、小松原課長から再考を求められた後も、原告は、再三、小松原課長や安野副課長に訪中旅行の有意義性を訴え、この旅行のための有給休暇と欠勤の承認を求めたが、右課長らは、原告の有給休暇のとり方に計画性がないこと業務上支障が生じる等の理由から右旅行を思い止まるよう説得し、これに承認を与えることをしなかつたところ、原告は翻意せず、同年一〇月五日に旅行届と有給休暇届を提出し、これが返却されたのに更に同月七日、前記(一項)のように各届を提出し、これの承認を得ないままに同月九日旅行に出発した事実が認められる。原告は、右一〇月七日に提出した各届は受理されたと主張し、原告本人の供述中には右主張に添う部分もあるが、なお、原告本人も小松原課長が預つておこうと言つて受取つたとの供述をなし、前記両証人の各証言、右認定の事実経過からして、右各届が受理されたとの原告本人の供述部分は信用できず、むしろ右両証人の証言からして、右認定のように、原告の提出した各届は承認されなかつたと認めるのが相当である。
四 弁論の全趣旨からして、原告が右旅行に出発した時点においては、同年度中に原告が取得しうる有給休暇の残余日数は一二日であり、前認定の原告が旅行に要した同年一〇月九日から同年一一月一日までの期間のうち一〇月九日から同月二一日までを有給休暇とし、同月二二日から一一月一日までが欠勤となり、被告においてもそのように取扱つたことが認められる。
そこで、右一〇月二二日から一一月一日までの欠勤(以下本件欠勤ともいう)につき、被告がこれを就業規則三二条四号の無届欠勤として取扱つたことの当否につき考える。
(一) 証人高塚惟任の証言とこの証言により成立を認めうる甲第一〇号証、原告本人尋問の結果とこの尋問結果により成立を認めうる甲第四号証の一、二、同第六号証の一ないし三によると、原告の参加した訪中旅行団の趣旨、目的、構成並びに旅行内容等は請求原因二項の(二)の内に記載のとおりであることが認められるのであり、右旅行が原告にとつて有意義であつたというに止まらず、日中友好関係増進の一助となつたであろうことも否定しえないところである。
(二) しかしながら、右訪中旅行が被告会社の事業とは無関係に行われたものであることは、証人小松原寛之、同橋本良嗣、同高塚惟任、原告本人の右供述からして明らかである。しかも、右証人小松原寛之の証言によれば、昭和四七年九月当時、被告会社において研究開発を急いでいた樹脂版印刷システムの開発業務に関し、同年一〇月二二日頃右業務担当の中央研究所ポリプロピレン課から技術課に応援要請があつたが、原告不在のために右要請に応じることができず、結局ポリプロピレン課の課員一名を従前担当業務(耐衝撃改良研究)から外し、前記樹脂印刷システム開発業務に当らせたため、同課員担当の業務に支障が生じたこと、又、原告が担当していた農業用資材の開発検討に関する業務についても、原告の不在中に代つて担当した従業員の不慣から、共同研究者に対する資材送付に手違が生じる等の支障も生じたことが認められる。
右の各事実に、前記のような従業員の欠勤が一般に使用者側に悪影響を及ぼすものであり、本件においては、被告側において業務上の理由を挙げて原告に右旅行の中止を再三にわたり説得したのに、原告はこれを聞き入れず、被告の承認をえないままに自己の計画通りに旅行をなし、本件欠勤に及んだような点を考え合せてみると、被告の立場からすれば、本件欠勤が原告の恣意によるものであり、不都合な理由による欠勤であるとして、無届欠勤の取扱をなしたことも、やむをえないと考えられる。
(三) ところで、企業における従業員の個人的な有意義性と企業の利害とは必ずしも結びつくものでは無く、本件においても、訪中旅行の原告個人についての有意義性が被告の利害と関連があるとは認め難く、他の場合と区別して、原告の右有意義性について被告において特別に考慮すべき理由を見出すことも困難である。また、日中友好関係の増進が国家的見地から好ましいものであり、原告の参加した旅行団の中国訪問が日中関係に好ましい影響を与えたとしても、これと一個の私的企業としての被告会社とに直接の利害関係があるわけではなく、被告が原告の右旅行による本件欠勤の不利益を受忍すべきであるとも言えない。
以上のような双方の事情やその他の事情を勘案してみるに、被告が本件欠勤を前記のように無届欠勤として取扱つたことが、合理性を欠く不当なものと断ずるのは相当でない。
(四) なお、原告は、本件欠勤については事前に届出て被告会社の業務に支障を生じないようにし、一方的に事を運んだものでないと主張するが、被告側において業務上支障が生じる等の理由で承認せず、また現に支障が生じたことは前認定のとおりであり、事前に届出たからといつて、本件欠勤が恣意的なものでなかつたとも言えないことは、上来説示から明らかである。
五 以上述べたように、原告は、直属の上司からの説得にかかわらず、被告からの承認を得ないままに長期間の旅行に出て就業せず、原告の不就業によつて被告会社の業務に支障が生じたものであり、かつ、被告が本件欠勤について就業規則上の無届欠勤として取扱つたことも止むをえなかつたこと等の事実に、成立に争いない甲第三号証、原告本人の供述から認められるように原告は前年の昭和四六年六月頃に約二週間旅行をなし、その期間中の一部は有給休暇でまかなえたものの約五日間は欠勤となつたような事実があること、更に、成立に争ない乙第一号証の二、証人橋本良嗣の証言により認められるように、本件欠勤について原告所属の前記労働組合と被告との労働協約に基づく懲戒委員会が開かれたが、同委員会に出席した組合側委員においても、本件欠勤につき原告を一〇日間の出勤停止に処することについて特別異論のなかつたことが認められること等を勘案するときは、被告が原告に対し本件欠勤につき一〇日間の出勤停止の懲戒処分をなしたことは、不相当なものであつたと言うことはできない。
原告は、本件のように事前に届出たのにかかわらず、これを無届欠勤として懲戒処分をした事例はないと主張するが、過去に同種事案が無かつたとしても、前記のような事実関係からして、本件懲戒処分が不相当でないとの認定を左右しえない。
六 してみると、本件懲戒処分が違法無効であるとの原告の主張は採用できず、これを前提とする原告のその余の主張については判断するまでもなく、原告の請求はいずれも理由がないと言うほかない。よつて、原告の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 石井玄 田畑豊 窪田正彦)